~ 温度感覚とTRPチャネルの研究から ~
鍼灸治療の前には、お灸の温かさを感じにくかった方が、
治療後には同じお灸を温かく感じられるようになる。
これは、私どもが実際の臨床で経験していることです。
お灸の種類も、温度も変わっていません。
それなのに、身体が感じ取る温かさは変わるのです。
私どもが大切にしているのは、
こうした患者さんご自身が感じている変化です。
では、なぜ同じ温度なのに、
感じ方が変わるのでしょうか。
実は、私たちの身体には、
温度を感じ取るための仕組みが備わっています。
温度を感じ取る身体の仕組みそのものが、
周囲の条件によって変化することが、
科学的な研究から分かっています。
今回は、富永真琴先生らの研究を参考に、
温度を感じる身体の仕組みについて、
身近な例を交えながらご紹介します。
1.私たちは、どうやって温かさを感じているのでしょうか?
私たちは毎日の暮らしの中で、
何気なく「温かい」「熱い」「冷たい」と感じています。
温かいお茶を手にしたとき。
お風呂に入ったとき。
そして、お灸を据えたとき。
こうした温度の変化を感じ取るために、
私たちの身体には特別な仕組みが備わっています。
分かりやすくいえば、
身体には温度を感じ取る「センサー」がある
ということです。
温かいものに触れると、
その刺激を感覚神経が受け取り、
脳へ情報を伝えます。
そして、私たちは「温かい」「熱い」と感じるのです。
ただし、温度を感じるセンサーは一種類だけではありません。
心地よい温かさに反応しやすいものもあれば、
強い熱さに反応しやすいものもあります。
こうした温度センサーの代表的なものが、
「TRPチャネル(ティーアールピーチャネル)」
と呼ばれるタンパク質です。
少し難しい名前ですが、
まずは身体に備わっている温度センサーの一つだと
考えてみてください。
2.熱さと唐辛子に反応する「TRPV1」というセンサー
TRPチャネルには、いくつかの種類があります。
代表的なものを、
反応する温度の目安とともに紹介します。
| 温度センサー | 反応する温度の目安 |
|---|---|
| TRPV4 | 約27〜35℃以上 |
| TRPV3 | 約32〜39℃以上 |
| TRPV1 | 約43℃以上 |
| TRPV2 | 約52℃以上 |
※研究で報告された代表的な温度です。
実際に反応し始める温度は、
実験条件や周囲の環境によって変化します。
今回、特に注目したいのが、
TRPV1(ティーアールピーブイワン)
です。
TRPV1は、一般的に約43℃以上の熱刺激に反応する
温度センサーとして知られています。
ところが、このセンサーには、
とても面白い性質があります。
実は、唐辛子の辛味成分である
「カプサイシン」にも反応するのです。

身近な例:辛いカレー
例えば、辛いカレーを食べたときのことを
思い出してみてください。
唐辛子の辛さによって、
口の中が熱く感じられることがありますよね。
しかし、唐辛子を食べたからといって、
口の中の温度そのものが
大きく上がったわけではありません。
唐辛子の成分がTRPV1を刺激することで、
熱さに近い感覚が生まれるのです。
さらに、熱いカレーでは、
料理の熱と唐辛子の刺激が重なります。
これも、TRPV1が熱とカプサイシンの
両方に反応することを知ると、
理解しやすくなります。
では、このセンサーは、
どのようにして情報を伝えるのでしょうか。
TRPV1は、細胞の表面にある
小さな通り道のようなものです。
熱やカプサイシンなどの刺激を受けると、
その通り道が開き、
細胞の中にイオンと呼ばれる
電気を帯びた粒子が流れ込みます。
それが神経の電気信号につながり、
脳へ情報が伝わります。
こうして私たちは、
熱さや刺激を感じることができるのです。

TRPV1が熱やカプサイシンに反応し、
神経を通して脳へ情報が伝わる仕組み
感覚神経を通して脳へ情報が伝わる仕組み。
ここまでが、TRPV1という温度センサーの
基本的な働きです。
ところが、このセンサーには、
さらに興味深い性質があります。
温度センサーが反応し始める温度は、
いつも同じではないのです。
3.温度に反応する「ボーダーライン」は変化する
例えば、ある温度センサーが
42℃になると反応するとしましょう。
41℃ではまだ反応せず、
42℃になると反応し始める。
このように、反応が起こり始める境目のことを、
科学の世界では「閾値(いきち)」と呼びます。
少し難しい言葉なので、
この記事では
「ボーダーライン」
と呼ぶことにします。
では、このボーダーラインは、
一度決まったら変わらないのでしょうか。
実は、そうではありません。

日焼けした肌が、いつものお湯を熱く感じる理由
例えば、夏の日差しを浴びて、
肌が赤く日焼けしたときのことを
考えてみてください。
普段なら心地よいシャワーのお湯が、
日焼けした肌に触れると、
熱く感じたり、痛く感じたりすることがあります。
シャワーのお湯の温度は、
いつもと変わっていません。
それなのに、感じ方は変わってしまいます。
日焼けした皮膚では炎症が起こり、
身体の中でさまざまな物質が働いています。
こうした炎症に関係する物質によって、
温度センサーの反応が変化することがあります。
その仕組みを考えるうえで、
非常に興味深い研究があります。
約42℃から約31℃へ。研究で確認された変化
2002年、杉浦健先生・富永真琴先生らは、
TRPV1の温度への反応について研究しました。
研究者たちが注目したのは、
「ブラジキニン」
という物質です。
ブラジキニンは、身体に炎症が起きたときに働く
物質の一つで、
痛みや熱への敏感さにも関係しています。
研究では、TRPV1などを備えた培養細胞を使い、
ブラジキニンが温度センサーの働きに
どのような影響を与えるのかを調べました。
すると、驚くべき変化が確認されました。
それまで41.9℃で反応し始めていたTRPV1が、
ブラジキニンの作用によって、
30.6℃でも反応するようになったのです。
その差は、約11℃。

Screenshot
TRPV1が反応し始める温度
41.9℃
変化前
30.6℃
変化後
約11℃も、
ボーダーラインが下がったのです。
温度センサーTRPV1が反応し始める温度が、
ブラジキニンの作用によって低下したことを示しています。
これは何を意味しているのでしょうか。
もともとは約42℃まで温度が上がらないと
反応しなかったセンサーが、
周囲の条件が変わることで、
約31℃でも反応するようになったということです。
温度が変わったのではありません。
温度を受け取るセンサーの
反応が変わったのです。
つまり、温度センサーのボーダーラインは、
身体の中の条件によって変化するのです。
この研究では、培養細胞を使って、
その変化が確認されました。
さらに、感覚神経の細胞を用いた実験でも、
ブラジキニンによって熱への反応が変化することが
確認されています。
私たちが日焼けした肌で普段のお湯を
熱く感じるような現象を理解するうえでも、
こうした研究は大切な手がかりとなります。
温度に反応するボーダーラインは、
常に一定ではない。
これは、温度を感じ取る身体の仕組みについて、
科学的な研究から明らかになった
大切な発見なのです。
4.お灸の温かさと、私どもの臨床で経験していること
ここで、最初のお灸のお話に戻りましょう。
私どもが鍼灸治療の中で経験していることに、
こんな現象があります。
鍼灸治療の前には、
お灸を据えてもなかなか温かさを感じなかった方が、
施術後には同じお灸を温かく感じられるようになる。
お灸の種類も、温度も変わっていません。
私どもが臨床で経験していること
変わったのは、
身体が温かさを
感じ取る感覚です。
私どもは、このような患者さんの声を大切にしています。
そして、実際の臨床で観察される変化を、
身体の状態を考えるうえでの
手がかりの一つとしています。
今回ご紹介したTRPV1の研究は、
鍼灸治療そのものを調べた実験ではありません。
しかし、温度を感じ取るセンサーの働きが、
身体の中の条件によって変化するという発見は、
私どもが臨床で経験している温度感覚の変化を考えるうえでも、
とても興味深いものです。
私どもにとって、出発点にあるのは、
科学的な理論ではありません。
目の前の患者さんが、
実際にどのような変化を感じているのか。
その声を大切にし、
身体の状態を観察することです。
そして、そこで経験した現象について、
科学的な研究から新たな理解が得られることもあります。
私どもは、理論だけで患者さんの身体を判断するのではなく、
実際の臨床で起きていることを大切にしながら、
身体の仕組みについても学び続けていきたいと考えています。
温かさを感じるという、ごく当たり前のこと。
同じ温度でも、身体の状態によって
感じ方が変わることがあります。
そして、温度を感じ取る身体の仕組みそのものが、
周囲の条件によって変化することが、
研究から分かっています。
私どもが鍼灸治療の中で大切にしている「温度感覚」。
その背景には、私たちが思っている以上に
奥深い身体の仕組みがあるのです。
けれども、何より大切なのは、
患者さんご自身が感じていることです。
「今日は温かさを感じる」
「以前より、お灸が温かく感じられるようになった」
そんな小さな変化の中にも、
身体の状態を知るための大切な手がかりがあると、
私どもは考えています。
これからも、一人ひとりの身体に起きている変化を大切にしながら、
鍼灸治療とご家庭での養生を支えていきたいと思います。
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参考文献・資料
1.Sugiura T, Tominaga M, Katsuya H, Mizumura K.(2002)
Bradykinin Lowers the Threshold Temperature for Heat Activation of Vanilloid Receptor 1.
Journal of Neurophysiology, 88(1), 544–548.
https://doi.org/10.1152/jn.2002.88.1.544
2.富永真琴(2004)
「温度受容の分子機構 ―TRPチャネル温度センサー―」
『日本薬理学雑誌』124巻4号、219–227頁。
https://doi.org/10.1254/fpj.124.219
3.富永真琴(2024)
「灸と温度感受性TRPチャネル」
予防鍼灸研究会、2024年6月30日、講演資料。

